大垣の水門川を訪ねたのは、
与謝野蕪村の記念館を見に行った日でした。

若い友人と歩いた川沿いの道。
水の音が、ずっと続いていました。

途中、ベンチがありました。

そこに座って、しばらく落水を眺めていました。
動画を撮ったのは、そのときです。

特に意味があったわけではありません。

ただ、静かでした。
ただ、そこに流れがありました。

あとから思えば、
あの動画を SNS に添えたのは、

語りすぎないことの象徴として、
あの風景がふさわしかったからかもしれません。

語らずとも伝わるものがあります。
語らないことで残るものがあります。

大垣という場所は、
歴史の中で何度も名前が出てきます。

その少し前には関ヶ原を訪ね、
その後には伊吹山を歩きました。

でも、水門川の記憶は、
どこか別の層に沈んでいます。

語られた歴史ではなく、
語られなかった時間のほうに。

語りの構造を考えるとき、
私はよく風景を思い出します。

語らないことで支えられているもの。

語らないことで、
誰かが安心して座っていられる構造。

あのベンチのように。

「日々のまなざし」では、
日常の風景の中にある構造を見ていきます。