「運」まかせに見える医療、生活とのズレ
医療を選ぶむずかしさ(歯科)
「おすすめの歯科医院ありますか?」
最近、この言葉をよく口にしています。
ここ2年、通っていた歯科医院が、続けて閉院したからです。
名古屋に移り住んでから、長く通っていた医院は、
入居ビルの建て替えで閉院になりました。
そのとき、先生から「医院間の連携がない」と聞き、
地域の方に相談して、新たに医院を紹介してもらいました。
次の医院は、長年、地域で頼りにされていて、
院内もきれいで、人も器具も十分に揃っていましたが、
定期検診を申し込もうとした頃、閉院のお知らせが届きました。
年齢を考えての決断と書かれ、また地域の方に相談することになりました。
医療を選ぶむずかしさ(皮膚科・眼科)
歯科医院は、口腔の不調がおきたとき、急場のかけこみ先にもなりますが、
なにが不調なのか、どう解決できるのか、わからない急場では、
どの医院に行けばよいのかという”はじめの選択”がむずかしくなります。
ちょうどその頃、まぶたが腫れるという不調がありました。
はじめに皮膚科へ行ったとき、
再来を強く勧められ、ホルモン系の薬が処方されましたが、
症状は変わりませんでした。
次に眼科へ行ったとき、
アレルギーの可能性を丁寧に説明され、抗アレルギー薬を処方されたら、
症状はすぐに治まりました。
こうしたできごとが続くと、
医療は生活とつながっているのに、その選び方や続け方が、
自分の意志よりも”運”に近いものになっているように思えてきます。
身内の最期に残った違和感
医療の選び方や続け方が、
自分の意志よりも”運”に近いものになっていると思うとき、
身内の最期を思い出します。
一人は、体調不良で寝込んだ間に立てなくなり、
入院してから一度も外に出ないまま、病院で亡くなりました。
がんと診断されてからの検査、経鼻経管、痒痛(とうつう)治療、
どれも自分で選ぶことができませんでした。
転院は、入院を一カ月以上、
同じ医院で続けられないという制度上の理由でしたが、
痒痛治療のある医院は少なく、
”治験”として転院しないという選択しかありませんでした。
別の身内は、転んで入院した後、移り先の老健で亡くなりました。
病院では、家族の承諾もなく拘束ベルトがつけられ、
食事量が減らされ、抗うつ剤が投与され、
それでも退院を許可されず、異議を唱えられませんでした。
自宅に戻ることを禁止され、
近くにデイサービスがあるのに、管轄外のため利用できず、
遠方しか選べない状況の中で、まだ近い老健にどうにか移りました。
一人めの身内の葬儀のとき、
車椅子から私に向けられた言葉が忘れられません。
「どうしてこんな可哀そうなことになったんだろう」
どちらのときも、
「大切にできなかった」
という思いが残りました。
「選べない仕組み」という視点
この体験を人に話すと、反応は大きく二つに分かれます。
「運が悪かった」と言う人と、
「選べない仕組みの問題」と言う人。
私は後者のほうに、深くうなずいてきました。
「選択できない仕組みの問題」という話は、
医療の現場を知る人からも、よく聞きます。
薬や療法が前提になっていて、
「家庭でできることはないか」と尋ねても、
返ってくる答えはいつも「薬や療法にあう範囲で」。
子どもの場合は、投薬を断ると自動的に相談員が来る仕組みがあり、
説明すれば理解はされるものの、
「制度のほうが先に動く」圧力が大きいと聞いています。
生活から見える、医療の構造
こうした”制度”が先に立つ一方で、
個人の間では、健康や受診を管理するAIアプリが
人気になっています。
自分の体の情報を、自分で把握したいという人が増え、
生活につながる形で、医療を選びたいという動きが、
広がっているようにも見えます。
ただ、“医療システムに乗る”ことが前提とされる
今の制度では、”乗り方”の選択ではなく、
”乗る前”と”乗った後”の情報を把握するだけになってしまいます。
これまで生活の中で見てきた、
医療の選び方が“運”に見えてしまう背景には、
既存の”医療システムに乗る”という前提と、
その背後にある”制度”の構造が、深く関わってるようです。
次の章では、この構造を”生活とつながる”形で、見ていきます。