すべての違和感は構造に通ず

このブログは、ちょっとした違和感から考察し、
世界の構造を見ていきます。

たとえば、仕事の場面。

マーケティングの人から
「同業ですね」と言われることがあります。

そのたびに思うのは、
人を「消費者」と呼ぶ彼らと、
そう呼ばない私が「同じ」なのか。

この違和感は、価値観や歴史など、
文化の背景にある構造を照らす道標になります。

また、Web制作の人から
「同業ですね」と言われることもあります。

立派なWebサイトを作ることが目的の彼らと、
伝わることを目的とする私が「同じ」なのか。

この違和感は、技術の設計の意図や、
人との接点にある構造を示す道標になります。

日々の場面。

特別な人・事・物の話題には、
語る人の背景が特別なのか、そうでないのか、
その前提があらわれます。

私の場合、背景を話すと
「名士ですね(自慢ですね)」と言われることがあります。

背景が自慢に聞こえるということは、
特別ななにかを語ることが、
自慢の裏返しとして扱われているということ。

この違和感は、
暮らしの中に潜む小さな構造のズレを教えてくれます。

文化の違和感は、
背景にある価値観や歴史の構造を照らし、

技術の違和感は、
設計の意図や人との接点にある構造を示し、

日々の違和感は、
暮らしの中にある小さな構造のズレを教えてくれる。

このように、すべての違和感は構造に通じ、
その構造を見ていくことは、生きるうえで大切です。