デジタル教育の記事を見たとき、
「好きに選ばせろ」
口から出てしまいました。

なぜそう思ったのか。

最近あったできごとを振り返り、
思いあたることを考える中で、
このコラムを書くことにしました。

読むのに、1分ほどの散文です。

好きに選ばせろ

AIもデジタル機器もツールも
好きに選んだらよろしい。

今わたしが子供なら、
本よめ、タブレット使え、で
もうええがな、となりそうです。

好きにさせてくれ。
地面を見て、草を見て、空を見て、
世界を自分で感じたい。

勉強は世界とつながっている。
毎日と明日と明後日と、
世界を広げる手立てのひとつ。

決められたことを繰り返して
なにを得られるんだ。
反復なら運動すりゃええやん。

あれせぇこれせぇ。
みんなしてる、あなたのため。
いや、“そっち”のためでしょう。

なにができる、なにをする。
決めるのは“わたし”。
教育とはこうあるものだと思います。

なじみの書店で古書フェアがあり、
昔もっていた絵本を見つけました。

手にするまで、忘れていた物語。
『すばらしいとき』という、米国の自然を描いたものです。

主人公は、ふたりの娘。
夏休みに島を訪れ、詩情豊かなときを過ごします。
明るいひざし、吹き荒れる嵐、穏やかな別れ。

読み返して、この絵本が
わたしの一部になっていることに気づきました。

世界はどう見えるか。
わたしはどう感じるか。

こうした視点は、
子供の頃からそばにあったようです。

そして、今のわたし──
このコラムや講座の礎になっています。